NEW YORK CITY MARATHON!

1998年11月1日 スタッテン島をスタート


 ついに、私はニューヨークまで来てしまいました。
初めは、実感がわかなかったけれども、確かに私は、そこにいたのです。
 それにしても、ニューヨークは、空気がきれいです!東京のように排気ガスを気にしないで、思いっきり息をしながら、走れるのです! さらに、マンハッタンの街並みは、どこか品が良いのです。まったく、東京都は、どうしてあんなに、汚い街を作ってしまったのでしょうか?
 丁度、ハロウィンのお祭りと重なっていましたが、どうもニューヨークシティーマラソンの方がメインになってしまっているらしく、マラソンの練習をする人ばかりが目に付きました。やはり、妙なものを出店で売るのは、時代おくれと見られているのでしょうか?


 到着してすぐに、受付を行いました。
ハドソン川の船着き場に受付があるのですが、さんざんランナー用品を売っている店の中を歩かされて、やっとTシャツとGPSの袋(手荷物入れ:これに入れるとスタート地点からゴールまで届けてくれる)を、もらえました。
 ここで、生まれて初めて時差ボケと言うものを体感しました。確か、よく寝たはずなのに、日本で丁度真夜中にあたる時になると頭が、徹夜明けの時の様に痛くなるのです。おかげで、受付のおばさんに、英語が分からないと思われて、変に親切にされてしまいました。
 もっとも、相手が話すことは、分かっても、慣れていないので、なかなかこちらから話せません。(ん、日本語でも同じかな?

 夕日の中に、タイタニック号を思わせるような、豪華客船がありました。これで、次の日ディナークルーズをすることもできたのですが、そういう上流階級ぶるのは、私は大嫌いなので、写真を外から撮るだけにしました。
 そう言えば、ブロードウェイで、タイタニックのミュージカルを見たような気がしますが、その頃は、時差ボケがピークに達して、私の頭の中が沈没してしまいました。本当にステージが傾いてピアノが倒れてくるような凝ったことをやっていたような?(ドリフターズじゃないぞ!ずっと、上品に出来ています!)気がします。

 大会前日には、国際親善ラン(international friendship run)という催しがありました。
実は、いろいろと派手に仮装して出るものだったらしいのです。私は、まじめに走る格好をしてきたので、待っている間、非常に寒い思いをしてしまいました。
(しかし、本番前に寒さに慣れたので、かえって良かったかも?)
 相撲取りの格好をして、「私は、洗脳されています」と紙を貼った人が人気者になっていました。浴衣姿の女の子もいました。また、みんなで、回すと”がらがら”いうおもちゃを、持ってきて、がらがら言わせながら、走っている国もありました。来年は、私もタイガーマスクの人にも負けないような格好をしようかな?と思いました。


 道行く人がみんな外人?なのにも慣れて、時差ボケも直った頃、ニューヨークシティーマラソンは、始まりました。
 会場には、3万人以上の人が、全世界から集まっています。ステージも作られて、その方に熱中する人もいました。
 さすがに人が多いので、トイレは、非常にたくさんあるにも関わらず、まだ、大勢並んでいました。
 ただし、”雨どい式のトイレ”は、別で、私は、思わず3回も利用してしまいました。(これこそ、国際親善だなーーー:ただし、女性は無理ですね)

 スタート地点は、記録順に、Blue Green Redと分けられていました。私は、既に3時間を切っていたので、Blueの前の方から2番目の位置でスタートしました。

 スタッテン島からベラザノ・ナローズ橋を渡って、ブルックリンに向かいました。橋の上は、凄い人の波です。しかし、さらに凄いことに、日本の大会と違って、マナーが非常によいので、危険は、全く、ありませんでした。
 42.195kmもあるというのに、沿道は、どこまでも、人垣がたえませんでした。ニューヨーク中の人が、ほとんど、全員見に来ているようです。
 残念ながら、人垣のために、ほとんど写真を撮ることができませんでした。大会本部で撮ってくれたものに、期待することにします。(話によると、期待できないそうです
 ・・・・そうだ! そんなことは、どうでも、いいのです・・・・
 ニューヨークシティーマラソンを、走った時に、思ったことは、「このマラソンこそ、本物のマラソンで、日本陸上連盟がやっているのは、見せるためのTVショーの一種だ!」ということなのです。
街づくりも、そうですが、どうして日本人は、まねしているつもりで、本質を歪めたものを、作ってしまうのでしょうか?
 私は、本気で、日本を見捨てて、アメリカに住むことを、考えてしまいました。
日本では、厄介者の穀潰し、よばわりされる私も、実は、一人では、なっかたのです。
 ハーレム街やブロンクスの住民も、マラソンを通じて、みんな仲間になったのです。私には、世界中にランニング仲間がいるのです!

 そう、思いながら、私は、感動のゴールを果たしました。
 どうでも、良いことですが、記録は、2時間49分26秒で、365位。日本人では、5位でした。
 ニューヨークタイムズには、3万人すべてが主役のドラマとあり、完走者全員の記録が載りました。
 一方、日本では、「日本人は、ふるわず、最高が50位ていど、でした」と、報道されたそうです。
 「背伸びして、子供のように、勝つことしか考えないアダルト・チルドレンの国日本よ。さらば・・・
と、言いたくなりますが、子供と喧嘩しても、しょうがないか・・・

 とにも、かくにも、私は、帰ってきてしまいました。
近畿日本ツーリストでくれたトロフィーを持って・・・・
 来週から、また子供たちのような大人たちの相手をしないと、いけません。
 しかし、少なくとも、「こんな、記録で、ニューヨークを、走るなんて、やめてしまいなさい」と、言う人の面倒を見るのは、もう、ゴメンです。
 マラソンを、通じて世界へ、もう、私は、止められない。







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