日時:

 

2010年1月17日午前5時スタート 

場所:

 

沖縄県宮古島市うえのドイツ文化村

スパルタスロンのリベンジの一環で今年も宮古島です。
100km遠足は、定員オーバーだったので、次の日に開催されるワイドーマラソンの方に出ました。
ワイドマラソンだと思っていたのですが、ワイドーだそうです。宮古島の方言で頑張れという意味らしいです。

よく分からないけど、受付は、うえの体育館で。
これが、スタート地点やホテルのある、またよく分からない”ドイツ文化村”から2kmも離れているのでした。
受付してから歩いていくと、やはり遠い。でも、運良くコースに出られたので後2km後1kmの距離表示を頼りに行くことが出来きました。
何か不親切ですね。え、観光協会主催のツアーに参加しろですって?
ギリシャに自力で行く私がですか?いやです。歩いて行きます。

スタートは、やはり朝の5時で真っ暗です。去年もそうだったけれども、宮古島は、西の果てなので、朝がくるのがとっても遅いのです。
でも、今年はスパルタスロンの腰巻きLEDライトを持って来たので大丈夫です。
でも、100km遠足と違ってちゃんと車がヘッドライトで照明をしてくれている様でした。

ヘッドライトのおかげですべり出しは順調でした。
また、練習ということを忘れてどんどん順位を上げて行くのでした。
池間島に着いた頃には、5位ぐらいを走っていました。
これは、100km遠足とあまりレベルは変わらないかな?
と油断していると、金髪に頭を染めたふざけたお姉さんに抜かれてしまいました。
ま、いいかと思っていると黄色いお兄さんにも抜かれてしまいました。
まあ、私の実力は、こんなもんでしょう。

とりあえず、マイペースで走ることにしました。だって、これは、あくまでもスパルタスロンの練習ですので、9時間を切れば良いのですから。
相変わらず、サトウキビ畑ばかりですが、今年は去年の様に焼ける様な日差しは無かったので、少し楽でした。
せっかく、良いTシャツと、帽子を用意して来たのですが、これではランニングで良かったですか。また、この大会は、ゼッケンを4枚くれるので、着替えの時付けかえしないで良いので楽でした。もっとも、それでも、スパルタスロンの、マジックテープ作戦を使えば何のこともないのですが。
とにかく、最後まで順調に走れまして、記録は、8時間54分でした。
9時間切るというノルマは、達成しましたので、自分だけで、お祝いをしようと、夕食に鉄板焼きを注文したのでした。

ところが、ところが、
何故か、大山礼仁年代別優勝と、張り出しているではありませんか?
え、何で?、私はさんざん抜かれて8位ですよ。と、尋ねたら。。。。。。。
「40代の他の3人が総合入賞だったので、繰り上げです」
と、言われてしまいました。
何と、小選挙区で落選して、比例代表で当選した様な優勝ですね。

しかたがないので、タクシーで行こうかなと、鉄板焼きを食べながらぶつぶつ言っていると
隣にいた「松原さん」が、「良いですよ、私のレンタカーで送ってあげますよ」
と、親切ですね。
と、いう訳で松原さんと、2kmも離れたうえの体育館へ向かったのでした。

いろいろと、イベントをやってくれたけど、やはり、ゴールから遠過ぎやしませんか?
来年は、レンタカーを借りましょう。
と、思っていると、「松原さん」2位でした。
実は、私より1時間以上も速かったのでした。これは、走っているときに見かけなかったはずですね。
しかし、2位と3位の副賞は、「大量の野菜」!
これは、飛行機で来ている人には、ちょっと酷なのでは、ないでしょうか?
年代別優勝は、楯だけだから良かったけれども(本当は金メダルが欲しかったです)

 

一夜明けて、ゴール地点は、つわものどもの夢の後となっていました。
このドイツ文化村は、ちゃんともとが取れた運用になっているのでしょうか?
何か閑散としてるけれども。
あたりを散歩していると、ナツメヤシの実がなっていました。
これって、食べられるらしいですが。一説によると、アダムとイブが食べたのはリンゴでは、無く、ナツメヤシの実だったとか。

こういうサトウキビ畑ばかりでしたね。
あとは、ナツメヤシの並木道ですね。
海はエーゲ海の様に澄んだ水です。帰りにウミブドウとモズクを買ったけれども、この海には沢山生えているらしいです。
ああ、冬なのに20℃ですか。氷点下の埼玉に帰りたくなくなってきました。

さあ、名残惜しいけれども、明日から仕事、会議なので、帰るとしましょう。
もっとも、ギリシャから帰るときよりは、ましですかね。
老後は、ギリシャか、宮古島にでも住みたいものです。
さあ、仕事、仕事。